「飛び越えてきた景色が、その羽に焼き付けられた。」
僕は元々、釉薬の色彩やテクスチャーに魅力を感じ、それをそのまま主題とするような陶板形状による作品を制作して参りました。
釉薬のリアリティー溢れる結晶構造や、それに伴う色彩の化学的変化は実に魅力的でその魅力を全面に表し続けた結果、自然に具体的な主題よりも抽象的な表現を多く制作して来たように思います。
しかし元来の適当な性格もあって、あまり線引きせずに自由に表現をしてきたのですが、釉薬が素材的に持つ「鑑賞者の内にあるイメージを喚起するような抽象的性質」は大切にしてきました。(抹茶の茶碗の「銘」はその「見立て」の産物です。)
釉薬が高温の窯の中で描き出す「景色」。それはある種、作為を超越した偶然とも言える結果です。しかし作り手は出発点として「想像」という地図を広げて制作の一歩を踏み出す訳で、結果が全くの偶然であるはずはありません。言わば作り手の「念写」とも言える行為です。
とはいえ、この世では「思い通りにいかない」という基本原則が常に働いているため、窯出しの日には心がズタズタに打ちのめされるような「予想外」の結果を前に翻弄されるのです。
「こんなはずじゃなかった、、」「なぜこんな結果に、、、」と毎度毎度苦しみ、奥歯を噛みしめるのですが、気づけばもう20年以上こんなことを続けているので客観的に理解できてきたこともあります。
それは、途中で「こんなはずじゃなかった、、」という焼成結果を踏まえた作品の方が最終的には、「予想の範疇に収まってスムーズに焼きあがった作品」よりも不可思議で複雑な釉調を備えた深みのある作品として完成することが多い、ということです。
宇宙はカオシックでフラクタルな性質を持っていますから、これも万物と呼応する一つの「普通の法則」なのかもしれません。
「思い」がリフレクトして反対の結果となり、だからこそ初めて成就するような不思議な感覚。
そして「いよいよ成就した!」と思うような自信作も「自分が創る」場から「他者へ伝える」場へとステージが変わり、「展覧会」となると何気なく出品した、「思い入れが軽いもの」の方が人気が高かったり、思いの反転の連続がまた延々と普通に続きます、、、。
もはや、
成功も失敗もないのです。
具象も抽象もありません。
具象は抽象のリフレクトであり、抽象は具象のリフレクションです。
事象すなわち心象です。
釉薬の抽象的な自然現象を、最大限具象的に模刻した羽に'Reflect'させました。
羽に映っているのは、飛び越えてきた景色です。
「反転」して見える一つの連続的な事象風景です。
鑑賞者それぞれの心象風景が、より美しくリフレクトできるように、
これからも磨いて磨いて「反射精度」を高めていきたいと思います。
HALUYA 2021