2015年5月21日木曜日

美しさとは何か?

美しさとは何か?と言ったって、答えのバリエーションは無限にある。
各々の視点により自在に変幻する哲学的な問いだと思う。

もちろん宇宙の造形物はみな美しい。
フラクタルの法に則った植物の美しさには毎日感動出来るし、
銀河や元素などの描き出す壮大な美しさには息を吞むばかりだ。

陶芸で使える宇宙の力には色々あって、

熱量温度帯による珪酸物質の変性
酸化還元の力による金属の発色
重力(引力)の法則に従う流体の軌跡
結晶構造の生成

これらの宇宙の力を最大限に享受する美しさは、鉱物だと思う。
そしてそれらの鉱物が複雑に構成された地球そのものの美しさだ。

陶芸には人間の力が介在する。
そこには大抵、作者の迷いや恐れ、様々な雑念や狭い自我が映し出されてしまう。

最近、釉掛けの時は雑念を織り込まない釉薬の構成を心がけるようにしている。

物質のあるがままの輝きを、応援出来る様な、
描かれた調和を熔融させて、予期せぬ事態を引き起こすことが出来る様な、
どんな結果になったとしても、興味シンシンで検証出来る様な、
実験的な構成で、この問いに対する僕なりの答をギンギンに焼き上げたいと思います。


今回あらたにルチル釉を調合完成させ、バリエーションが増えた。M1コバルト釉とトルコ青8釉は亜鉛を含まないが、やはり不安定に調合されている。器の形状は内側に湾曲しているので、熔融温度に達した時に流下してこの均衡が崩れるのは明白なのだ。

最近は攻めるので、ゼーゲルコーンの10番も完倒してベチャまで行く。
11番は手元に無いし、1本500円と高い。なので最近はデジタル温度計を信用して焚いてます。
ピークはこのあたり。さらに1時間練らして2時間徐冷却。


かなり熔融が進みました。近くで見ると予期せぬ事態の連続にワクワクします。

(施釉後の写真とこの焼成後の写真は右に120度回転させて見るのが正しい位置関係になってます。)


2015年5月20日水曜日

自由というカオス

誰にも依頼されずに制作しているわけなので、
本当に何を作ったって自由なのですが、この「自由」というのがなかなかのカオス領域なのです。
何がカオスかと言えば、
「美しさ、とは何か?」
という問いかけに真っ正面から向き合わざるを得ない混沌です。
そしてその大きな問いに答えを示す事が仕事となります。
花や星や動物達は、全存在をかけてその大きな答えを叫んでいるようにも思えます。
毎度人間的な葛藤の窯出しが続く中、憧れの美しさにはまだまだ遠いのですが、時々ハッとなる美しさを見つける事があります。
それは大抵、意図や計画を越えた次元で起こるもの。
狂った攻め焚きの窯の中を、悠々と通り過ぎていった火の鳥が、その輝く羽でほんのすこし触れてくれたような、、。
神秘なのか科学なのか、よくわかりませんが、僕の制作の原動力とも言える現象です。


 化学で言えば、コバルト含有亜鉛結晶なので極端に奇跡的な現象ではないのですが、あまりに安定しない現象なので予期せぬ配置になるのです。この予期せぬ領域にこそ美しさの鍵があると思うのですが、予め期待してこそ釉薬の調合が決定されるので、期待と結果のギャップこそが陶芸家のハートブレイクであり最大の悦びでもあるわけです(笑)
陶芸の道って変ですね。

「攻めの姿勢、そして事故」

窯焚きの前、夜中の窯詰めの最終段階でふと聴こえる声がある。
「こんなんでいいのか?もっと攻めれば良いじゃないか」
「あとの事は考えるな。アクセル全開だろ」
安全マージンを考慮せず、あらぬモノをぶっ込んで、釉薬もどっぷりと掛け、攻めに攻めて焚いた結果、
あらぬモノ(大量の釘=大量の鉄)が
どっぷりと掛かった釉薬と反応し、
限界まで薄く造形した器体を熔かし貫通して流下すると
こうなる。
悪夢の窯出し。

キラウエア火山の溶岩ドームのようだ。この上にアリが居たとすると、それが火口での人間の大きさ位。
My MAGMA ガーデン

とかいって感動している場合では無い。







窯出しの日は自分の馬鹿さ加減にほとほと呆れて、修理代を考えたり失った時間やモノに思いを馳せては凹みました。
しかし確かにやりたい事をやって失敗したりしながら生きている実感を得るタイプの人間なので、心の新大陸の渚で泣き笑いです。














2015年5月12日火曜日

吉田晴弥展2015のお知らせ。

5月25日(月)〜5月30日(土)
11:00〜19:00(last day 〜17:00)
ガレリア・グラフィカbis
galleria grafica bis
東京都中央区銀座6-13-4銀座S2ビル
03-5550-1335
www.gg-bis.com
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" melt down into the cosmos "
半年間、この展覧会を開催する為ひたすらにつくり続けて来た。
毎度のことではあるが、窯出しの度に自らの才能の浅はかさが明らかになり、落胆を重ねて来た。
「自らの才能の浅はかさ」とは、「遠慮してしまうこと」そのものだ。
日常生活の中で、他者に対し遠慮することは多々往々にしてあるし、少なからず必要なことはよくわかる。
しかし問題なのは、自分が自分自身の表現に対してまで遠慮をしてしまうことだ。
「これ以上やってしまうとこれまでの苦労が台無しになってしまうかもしれない、、、。」
たしかに台無しは恐ろしい。失敗の代償はキツいものがある。
だが、その恐れに縛られて
ロクロが攻め切れず、
釉薬は若干薄めに、
窯の温度もやや抑えて焚いた結果、
なんだか煮え切らないものになってしまうのだ。
失うものの大きさを考えれば日常生活道においてのアクセル全開はありえないが、自分で進むと決めた陶芸の道でくらいは遠慮せずしっかりとアクセルを全開にして行きたい。
失敗したいわけではない。
造形は限界まで鋭く、釉薬はギリギリまで豊かに、窯は熔融寸前の最高温度を狙って行きたい。
焼き熔かすべきは、遠慮ばかりして考えている自我。
その結果にあらわれる予測不可能な釉調の中に、
無遠慮な宇宙の調和を見たいのだ。